2011年06月07日

多賀城市津波被害(1)

仙石線に乗って出かけた多賀城周辺。
十二年ぶりに再会した姐御にいきなり案内していただきました。
紀行文は「バカップル列車 第49号」に書いた通りですが、
当日の写真などをこちらでご紹介。

仙石線の電車で姐御と合流した私たちは、
まず塩竃の「すし哲」でお昼を食べるために本塩釜駅へ。
食べる前にちょっとばかり駅周辺を歩いてみました。

●本塩釜駅周辺
20110504_4662.jpg
川の岸辺に乗り上げた漁船。
そのすぐ脇を自動車が通り過ぎて行きます。

20110504_4682.jpg
電気がまだ通じていないのか、信号機が点灯していません。

いきなり目にする光景がショッキングなものばかりで
最初のうちはなにがなんだかわかりませんでしたが、
この一帯は二メートルほどの津波が押し寄せたようで、
どの建物も一階部分は使えない状態のところが多かったです。
そう考えると「すし哲」が営業していたのは、むしろ奇跡的です!

お寿司をたべたあとは仙石線で三駅戻って多賀城へ。

●多賀城駅前
20110504_4718.jpg
多賀城駅前の再開発予定地は沖縄からの自衛隊が駐屯していて、
臨時入浴場を提供してくれてました。

●多賀城市街
20110504_4737.jpg
多賀城駅から南方向(海方向)へ歩いた住宅地。
道に面したフェンスや門にしっかりと津波の高さが刻まれています。
みつこさんが手をかざしているあたりから下に
うっすらと泥のあとが残っているのが見えるでしょうか?
ひとの背をはるかに超す水かさです。
右のデニムのジャケットを着ているのが姐御です。

20110504_4729.jpg
名所「末の松山」。寺院の門までは津波がきていますが、
松の木のところまでは津波が来ませんでした。
平安期の和歌に「ありえないこと」の喩えとして
「末の松山を波が越えるなんて」と詠われています。
たしかに津波は末の松山を越えませんでした。
平安時代のひとってそのこと知ってたの??
と、思わずききたくなります。

20110504_4750.jpg
末の松山から、さらに海側に進んで国道45号線を越えると
惨状はますます酷くなっていきます。
パチンコ店の脇で逆立ちしている乗用車。
私有地にある壊れた乗用車は役所は撤去してくれません。
一般のひとたちはどうやって片づければいいのでしょう?

20110504_4757.jpg
国道からさらに海側の産業道路沿い。
歩道橋の真ん前に消費者金融の無人契約機の小屋が流れてきてます。

(つづく)

posted by ひろとも at 00:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする