2013年08月14日

三陸踏査2013(第3日目その2)

「陸前高田です」といわれてBRTを降りたところは、
ここが日本のどこなのかもまったく見当がつかない場所でした。
小友はかつての駅跡だったのでかろうじてわかりましたが、
その後は脇ノ沢、高田病院ともに地図を見ても
まったくわからない丘陵地帯。バスはそのまま丘陵を走り続け、
わかる場所へ戻らないまま陸前高田駅といわれたのです。
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たしかにJRのマークもあって、陸前高田駅と書かれた
プレハブ小屋はありますが、かつての大船渡線の陸前高田は
海に近い平地にあったはずです。
「駅舎」の向こうに小さな観光案内所があったので、
「ここはどこですか?」と尋ねてみました。
案内所のおねえさんは地図を出してきて親切に教えてくれましたが、
奇跡の一本松までは三キロほどあり、
徒歩だと往きが三十分、帰りは四十分〜一時間ほどかかるとのこと。
でも、一本松まで路線バスもないので歩くしかありません。
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駅舎や案内所と同じ敷地に並ぶプレハブ建物は
陸前高田市役所の仮庁舎でした。
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とにかく次のBRTまでに一本松まで往復しなければなりません。
教えてもらったとおり、海に向かって歩きはじめました。
丘陵地には新しい公共機関の建設や宅地造成のため
重機やトラックが忙しそうに動き回っています。
そうした光景を見ながらわかってきたのは、
陸前高田は街の中枢を丘陵地に移転させようとしていること、
海沿いの平地にはしばらくは街をつくらないこと、など。
だから新しい「駅」も丘陵地に移転してきたのでしょう。
そしてご覧のとおりかつての市街地は夏草に覆われたまま。
あるいは嵩上げのための土砂が盛られているか。
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みつけました。このゆるやかなカーブ。
かつての大船渡線の跡です。
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駅のあった場所も探し出しました。
いかにもホームであることがわかりやすい黄色いタイル。
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駅北側の駅前ロータリー。かつての様子は想像できません。

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ようやく海に近づいてきました。
高田松原があったところ。松の根元の部分だけが無数にあり、
なんだかものすごい勢いでこちらに迫ってきます。
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たどり着きました。奇跡の一本松。
まだ修復が完全でないらしく、あまり近づけませんでしたが。

アップダウンの激しい計六キロの往復で三時間が過ぎ、
再びBRTに乗り込みました。
気仙沼までは専用軌道はほとんどなく、国道45号線を走ります。
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気仙沼市街に入った鹿折唐桑駅付近。
駅の真ん前に、大きな漁船がいまだに居座っていて、
被災地ツアーのバスが停まっていました。
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気仙沼で遅いお昼を食べた後は気仙沼線のBRTに乗り換え。
こちらは専用軌道の区間が多いです。一般道との交差点では
BRT側の遮断機が設置されているところも。
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陸前階上のように、ホームや跨線橋などかつての駅が
ほぼ残されているBRT駅もありました。
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陸前高田と気仙沼で時間を取られたので今回は志津川は素通り。
防災庁舎はきれいに骨組みだけになってしまいました。
こちらにも観光バスがやってきて、おじさんやおばさんたちが
大勢お参りしていきます。

気仙沼の寿司屋のおかみさんの話が印象的でした。
「あんな津波はあと百年は来ないよ。
 それなのに、不便な山に住んだり、立派な防波堤つくったり。
 もし来たら逃げればいいだけの話。自然には逆らえないんだから。
 お役人が机の上だけで考えてるから、そんなバカなことになる」
posted by ひろとも at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする