2011年06月10日

多賀城市津波被害(2)

多賀城市津波被害、踏査記録の続きです。
紀行文は「バカップル列車 第49号」に書いた通りです。

●多賀城市街
20110504_4762.jpg
産業道路沿いの寿司店。
建物に乗用車が逆立ちしながら寄っかかっています。
そして破れた窓の向こうからは福助人形がこちらを見ています。

20110504_4763.jpg
なんだか寂しそうにこちらを見つめています。

20110504_4769.jpg
産業道路からさらに海側に来ました。状況がどんどん酷くなってきます。
原型をほとんどとどめていない軽自動車。

20110504_4773.jpg
電柱がなぎ倒され、あたりはがれきの山だらけ。

そうしてまた少しずつ駅の方に戻っていきました。

20110504_4784.jpg
「あら、この看板も斜めになっちゃって……」とみつこ。
でもよく見ると根元の柱はまっすぐのまま。
もともとこういう設計だったんですね。

駅にいったん戻ったところで津波被害の踏査は終了。
山側へ二キロほど行った多賀城趾に行くことにしました。

●多賀城趾
20110504_4794.jpg
お城の手前にある多賀城碑付近の丘。
松の木の向こうに姐御と嫁みつこが佇んでいます。

20110504_4818.jpg
こちらが多賀城政庁の跡地。戦国時代の城と違い、
律令時代の遺跡はどことなくのんびりとしているのが印象的。


写真はこちらのブログに掲載して、それはそれで説得力のあるものですが、
今回私がいろいろ目にしたり、話を聞いたりして感じたことは、
その状況の前後のストーリーを理解しないと見えてこないものが多い
ということでした。もちろん私だって、ここに掲載した写真の
ストーリーすべてを理解している訳ではありませんが、
歩道橋で一夜を過ごした人びとがいるということ、
その国道45号線が津波に襲われる前に姐御が歩いて帰ったということ、
その後姐御の職場のリーダーが津波の被害に遭ったことなど、
そこに至るまでのストーリーを知ると
もっと多くのものが見えてくるのだと思うのです。

そういった意味でも、「バカップル列車49号」の記事を
いまいちどお読みいただければ幸いです。




posted by ひろとも at 00:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
今回はすし屋さんに行くことができたということですが、この被害状況を見てみると、やはり営業再開に向けて相当苦労されたことがわかりました。
これからどうやって復旧していくのかが課題となりますが、まだまだ大変そうですね。
とりあえず義援金は送りましたが他にまだできることがあれば被災者の迷惑にならない範囲でやらねばと感じました。
Posted by さらりとした梅酒 at 2011年06月10日 08:47
復旧・復興への道はまだまだ長いかもしれません。
でもあきらめずに生きていこうという気持ちを
持ち続けることが大切だと感じています。
まず自分たちでできることとして、
我が家では義捐金とふるさと納税をしました。
Posted by ひろとも at 2011年06月10日 23:39
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