2013年08月10日

三陸踏査2013(第2日目その2)

釜石から大船渡、陸前高田を経て気仙沼までの区間は、
バスの本数が極端に少なく、もっとも行きにくい場所でした。
釜石駅前から一日四本しかない大船渡行きのバスに乗り込みます。
ただし、座った席は窓が小さくてビデオはほとんど撮れず。
港の脇にピラミッドのように堆く積まれた土、
運動公園に建てられた仮設住宅街が次々と過ぎてゆきます。
バスは大船渡まで行きますが、吉浜駅前で下車しました。
吉浜から盛までは三陸鉄道南リアス線が営業再開しているので
鉄道に乗らないわけにはまいりません。

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吉浜の駅舎。田野畑と同じく派手なペイント。顔に見えます。
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次の列車まで時間があるので、海岸の方へ行ってみました。
一見すると穏やかな海岸で津波が来たことがわからないくらい。
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津波の記念碑。3.11のことかと思いきや、
建てられたのは平成20年で、昭和8年の津波の追悼碑でした。
津波の教訓を引き継ぐ、と書かれていました。
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二時間ほど待って、ようやく盛(さかり)行きの列車が来ました。
この車両は中東の国クウェートの支援で導入できた新車両。
車体にはそのことを解説する日本語とアラビア語が併記されています。

親切な運転士があれこれと車窓の解説をしてくれました。
南リアス線の復旧をいちばんむつかしくしているのは、
唐丹〜吉浜間の荒川橋梁が落ちてしまったことだといいます。
釜石の鉄橋がずれたこともこの運転士にうかがいました。
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甫嶺を出たところ。この盛土もほぼ全面的に改修されています。
線路の右側には建物があるのに、左側が更地ばかりなのは、
線路の盛土が防波堤の役割を果たしたためだそうです。

綾里からは乗客がどどっと乗ってきました。
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陸前赤崎駅はかろうじて津波の難を逃れましたが、
元あった場所から釜石側に移動したそうです。
写真真ん中に白く光っている部分が
かつてホームを支えていた土台だったところとのこと。

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終点の盛駅に到着。三陸鉄道ホーム向かい側は
かつて大船渡線の列車が発着していましたが、
いまはBRTのホームに改造されています。
なるほど、線路跡が舗装されてバスの専用道になっています。
BRTはバス・ラピッド・トランジットのことで、
和訳すると「バス高速輸送システム」。
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三陸鉄道の盛駅。駅舎内は待合室になってました。
切符売り場のおねえさんが笑いながら、
「あまちゃんみたいでしょ! カフェじゃないけどねっ」。
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三陸鉄道の列車とBRTが同時に発車していきました。
同時発車は一日に二回しかないですって! ラッキー(笑)

二日目の夜は大船渡に泊まります。
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もとの街はないので、晩ごはんをいただきに復興商店街へ。
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店の中からギターと歌声。NHKの番組になりそうなシーンでした。

(つづく)
posted by ひろとも at 00:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
BRTの方は鉄道のようにホームから発車して専用道路を通るのは聞いていますが設備が整備されている感じがします。ただ、被害が大きく設備を作り直すのが相当難しいようでなかなか復旧が進まないのが残念です。確かに少しずつ復旧しているのもわかりましたが。
Posted by さらりとした梅酒 at 2013年08月10日 08:57
BRTが元の大船渡線、気仙沼線のルートで復旧するのは
むつかしいと感じています。三陸鉄道が鉄道として
復旧させるにしても、JRがBRTで復旧させるにしても、
いちばんお金と時間と労力がかかるのが橋です。
いまも復旧なっていない箇所には必ずといっていいほど
橋が影響していて、これの再架設が最大の課題になっています。
Posted by ひろとも at 2013年08月14日 09:46
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