2014年11月07日

思い出鉄道写真館 (11)長〜い写真

20141029_6427.jpg
収納箱を整理してたらこんなものが出てきました。
コダックTRY-Xのロール。

20141029_6428.jpg
なにやら長〜いものが写っています。なんでしょう?

20141029nse_パノラマweb.jpg
これ、電車の写真です。車両は小田急ロマンスカー3100形。
※サムネイルなのでクリックすると正しいサイズになります。
フィルムカメラに細工をしてちょっと特殊な撮り方をしています。
いったんフィルムをぜんぶ撮影した状態にします
(カメラの右側にぜんぶ巻き取る)。
レンズの前にスリットを貼りつける。
そして左から電車が来たときにバルブでシャッターを開け(三脚必須)、
なんとなく電車のスピードに合わせてフィルムを巻き戻す。
電車が去ったらシャッターを閉じる。
そうするとこういう写真が撮れるんです。
手動で巻き戻すので、なかなかスピードが合わず、
車両が短くなったり、長くなったりしていますがそこはご愛敬。

中学生だったか、高校生だったかのころに撮ったんですが、
いま見ても、こんなのよくやったなって感じです。
柿生と鶴川の間の線路端でバカみたいに撮ってました。
なんでモノクロなのかは自分で現像したかったから。
ラボに出すとネガを途中で切られちゃうと思ったんですね。
20141029nse_web079.jpg
上の写真の部分。
けっこうよく撮れてますよね。車内の様子なんかもよくわかります。
20141029nse_web022.jpg
ここらへんはスピードが合ってなくて伸びちゃってますが。

posted by ひろとも at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 思い出鉄道写真館 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月07日

思い出鉄道写真館 (10)調布駅平面交差

つい最近まで京王電鉄の調布駅では八王子方面の京王線と
橋本方面の相模原線が平面交差で分岐していました。
IMG_8935-2.JPG
この写真は3・4番線ホームの一番西寄り(八王子寄り)から
八王子・橋本方面を見たところ。
3番線と4番線の線路に挟まれたところで撮影しました。
一番右から上り4番線、3番線、その左が下り2番線、
さらにその左側に見えにくいですがもう一本あるのが1番線です。
橋本方面(写真ナナメ左前方)から3番線に入る線路と
1・2番線から八王子方面(写真ナナメ右前方)へ向かう線路とが
このように駅西側の同一平面上で交差してたのです。
そのため相模原線上り電車と京王線の下り電車は
同時に発着できず、ダイヤ設定上のネックになってました。
IMG_8933-5.JPG
こちらは同じ場所から撮った写真で、
ちょうど相模原線上り電車が3番線に入ろうとしています。
この電車が左側二本の線路(1・2番線)の行く手を
堂々と遮っているのがわかるでしょうか。
逆に、八王子方面から4番線に入る電車は同時入線できます。
ただし橋本方面から3番線に入るポイントと
八王子方面から4番線に入るポイントが接近していて
同時到着はかなりスリリングです。

下の写真は相模原線上り電車が調布駅3番線に
進入するところを前方運転席後ろから撮影したもの。
見る方向としては上の写真と正反対(新宿方向)です。
IMG_1222-3.JPG
調布駅に接近中。下り相模原線電車とすれ違い。
IMG_1223-3.JPG
のろのろと進みますが調布駅手前で一時停止。
IMG_1224-3.JPG
左側の電車は4番線に進入している京王線上り電車。
IMG_1225-3.JPG
この電車のすぐ右側をすり抜けるようにして3番線に入ります。
3番線に入るポイントの手前で1・2番線からの線路を続けて跨ぎます。
IMG_1226-3.JPG
左側の電車の車体がすぐそこまで迫ってきています。
本当にこのまま進んで大丈夫なの? と見てる方が冷や冷や。
IMG_1227-3.JPG
ギリギリセーフ!
その距離わずか20〜30センチってとこでしょうか!?
IMG_1228-2.JPG
なんとか無事3番線に到着。
でも真正面の本線上にヘッドライトをつけた電車が停まっていて、
いまにもこっちに向かってきそうな勢いです。
この電車は渡り線で1番線に入り、下り相模原線の電車になります。
それにしても、平面交差といい、本線折り返しといい、
どこまで路面電車的なんだ、京王線は!?(笑)

しかし、2012年8月に調布駅は地下化され、
相模原線との分岐は立体交差に。
こういう光景もみられなくなりました。
posted by ひろとも at 00:00| Comment(4) | TrackBack(0) | 思い出鉄道写真館 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月22日

思い出鉄道写真館 (9)オレンジ色の201系

中央線(快速)からオレンジ色の201系が引退したので、
ひさびさに思い出鉄道写真館です。

●新宿駅12番線
20100901_8575.jpg
ことし9月1日撮影。快速の営業列車に乗ったのは思えばこれが最後でした。

●御茶ノ水(聖橋)
20080724_7728.jpg
御茶ノ水駅って東京の駅ではいちばん好きな駅かもしれません。
2008年夏の夕暮れ。
いまはなき日立本社ビルがまだそびえ立っています。

●御茶ノ水(御茶ノ水橋)
20071018_4700.jpg
ホームで上り電車を待っていると、水道橋側から
ず〜っと逆S字カーブを描いて近づいてくるのが見えるんですね。
電車が駅に入ってくるのをじ〜っと見ていたものです。2007年秋撮影。

●御茶ノ水(御茶ノ水橋の下)
20100107_3945.jpg
御茶ノ水橋の下をくぐり高尾方面へ走り去っていくところ。
信号機の電灯と橋の下の暗闇とのコントラストがいいですね。
2010年冬撮影。

●愛されて30年
20100218_4221.jpg
ことしの春先、数少ない201系快速電車に
「愛されて30年」というステッカーが貼られていました。
その後、3月のダイヤ改正で201系はいったん定期運転から離脱します。
まったくの予告なしだったので、がっかりしたのをおぼえています。
そして4月末、新型電車の不具合だとかで、まさかの現場復帰!
その後、10月14日まで通常の快速電車として最後の活躍をしました。

●登場時
1984goro-201.jpg
201系が新型電車として中央線を走り始めたころの写真。
屋根のクーラーなんて、ぴっかぴかですね。
1984年ごろの撮影だったと思います。場所は西荻窪(たぶん)。

●東中野の桜
20070400_1462ppp.jpg
桜の花の淡いピンクと快速電車の鮮やかなオレンジ。
2007年春撮影。


posted by ひろとも at 00:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 思い出鉄道写真館 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月12日

思い出鉄道写真館 (8)84年北海道


夏が来れば思い出すのは、北海道。
1984年、私が高校一年生のとき、
生まれて初めて、一人旅にでかけたんでした。

前夜、上野駅を発ち、青函連絡船で函館に着いた私を
迎えてくれたのは、網走行きの特急「おおとり」。
ここから、はじめての北海道の旅が始まりました。

●函館駅 特急おおとり
198408h_ootori1nm.jpg
いまや博物館に展示されるだけとなったキハ82系特急形気動車。
現在、北海道を駆け抜ける最新鋭のディーゼル特急に比べれば、
馬力も弱くスピードも遅いんですが、
古き良き「特別急行」の面影を残す気品溢れる車両でした。
函館から網走まではおよそ10時間。
終点に着くまでの間に二回食堂車を利用しました。

●常紋峠 特急オホーツク
198408h_okhotsknm.jpg
網走から石北本線を戻ってたどり着いた常紋峠。
駅でいうと生田原と金華という駅の間にあります。
金華から線路端をひたすら歩いた先にやってきたのは
当時の新型車両(キハ183系)による特急「オホーツク」でした。

●湧網線佐呂間駅
198408h_yumonm.jpg
私が乗った三年後の1987年に廃止されてしまった湧網線。
名寄本線(廃止)の中湧別から網走まで走っていましたが、
サロマ湖、オホーツク海、能取湖などが車窓から見える
とても景色の良い路線でした。写真は途中駅佐呂間駅での光景。

●サロマ湖の朝焼け
198408h_saromanm.jpg
湧網線の車内から撮ったサロマ湖。
雲の隙間から漏れ出てくる日光がなんとも言えぬ
荘厳な雰囲気を醸し出しています。

●函館本線普通列車
198408h_nirenm.jpg
こちら、函館本線の張碓駅(朝里〜銭函間・2006年廃止)付近。
函館本線は小樽から札幌に向かう間に
石狩湾のすぐ近くを走るところがあるんですね。
カメラを構えると、くねっと湾曲した線路が海の向こうに見えます。
荷物車と客車を混結した函館行き普通列車が走ってきました。
正確にはおぼえていないのですが、
時間的に札幌13時39分発の42列車だと思います。


およそ10日間の旅で、北は稚内、東は釧路まで、
周遊券を使って、いろいろなところを回りました。
夜は、夜行列車と駅前のごろ寝だったので、
旅費も食費もすべて込みで5万円で済みました。
こんな旅、金額的にも体力的にも、いまはできません。

はじめて一人で旅したので寂しかったのか、
意味もなく家に電話をしたのをおぼえています(笑)。
電電公社のテレホンカードを買ったのも
この旅行のときが最初でした。
posted by ひろとも at 00:00| Comment(6) | TrackBack(0) | 思い出鉄道写真館 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月15日

思い出鉄道写真館 (7)信越本線碓氷峠


鉄道の日、10月14日は過ぎてしまいましたが、久々に思い出鉄道写真館を掲載することにいたしましょう。

今回は1997年10月の北陸新幹線(通称「長野新幹線」)開通に伴い廃止されてしまった信越本線の碓氷峠(横川〜軽井沢間)です。

●旧丸山変電所付近
usui51tml.jpg
横川から2kmほど軽井沢方面に登ったところにある煉瓦づくりの廃墟、丸山変電所跡付近で撮影した上野行き特急「あさま」です。1989年2月ごろ撮影したもので、まだ特急電車の色がクリームに赤帯の「国鉄色」でした。

ところで、碓氷峠は群馬県と長野県の境にある峠で、古代より東山道(碓氷坂)、近世においては中山道の難所とされていました。
群馬県側の標高は387m(横川)、長野県側の標高は939m(軽井沢)。一般的な山越えと違い、長野県側が一方的に高いという片勾配の峠なので、どんなに長いトンネルを掘ったとしても勾配を解消することができません。
1893(明治26)年に開通した信越本線も難工事の上での開通でした。550mもの絶対的な高低差は急勾配によって結ぶほかはなく、一般的な幹線鉄道としては最急勾配の66.7‰(パーミル)(15分の1)で敷設されました。
当初は、補助機関車の歯車とレールの歯車をかみ合わせて急坂を登り降りするアプト式が採用されていましたが、1963(昭和38)年に信越線の新線が開通してからは66.7‰を補助機関車のみで行き来する方式となりました。
特急「あさま」も横川や軽井沢で4分ほど停車して補助機関車の連結・解結作業をしており、スピードも時速30〜40kmぐらいまでしか出せず、碓氷峠が輸送上のネックになっていたことに変わりはありませんでした。

●熊ノ平信号場
usui101tnml.jpgusui102tnml.jpgusui103tnml.jpg
横川と軽井沢のちょうど中間付近にあった信号場付近で撮影した三連写。1993年夏ごろの撮影。熊ノ平は信越線旧線(単線)時代は駅でしたが、新線が完成して複線化された後、1966(昭和41)年に信号場に格下げされてしまいました。

●めがね橋
usui01nml.jpg
手前の煉瓦造りの橋が碓氷川を渡る信越本線(旧線)の第三橋梁、通称「めがね橋」。横川から約5kmほどのところにある日本最大級の煉瓦アーチ橋で、国重要文化財に指定されています。その向こうに見えるのが信越本線(新線)のコンクリート橋。長野行きの特急「あさま」が補助機関車EF63に後押しされて66.7‰の勾配を登ってゆきます(1993年夏撮影)。


●碓氷川橋梁
usui02nml.jpg
めがね橋の下付近から撮影した信越本線(新線)のコンクリートアーチ橋を渡る特急「あさま」です(1993年夏撮影)。

現在、新線も含めて信越本線横川〜軽井沢間は廃止されています。北陸新幹線「あさま」は、碓氷峠を難なく行き来していて、輸送上のネックは新幹線によって初めて解消されたといえるでしょう。
信越線時代はたしかに補助機関車を付けたり、スピードが出せなかったりと不便も多かったですが、そうであるがために横川駅停車中に「峠の釜飯」を買いに行ったりといった風物詩もありました。
空気バネの空気を抜いた台車から直接伝わってくる、ズズン……ズズン……というレールの振動を、私はいまでも忘れられません。
posted by ひろとも at 23:41| Comment(6) | TrackBack(0) | 思い出鉄道写真館 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月30日

思い出鉄道写真館 (6)EF58形電気機関車part2

EF58の写真はじつはたくさんあって、前回はかなり思い切って掲載写真を四点に絞ったのですが、やはり捨てきれないものもあるので、特別にpart2を掲載することにしました。

●藤沢の大カーブ
1983ww003ef58nml.jpg
東海道線大船〜藤沢間で撮影。特にどうという写真ではありませんが、EF58の車体が大きく写っています。


●新快速との遭遇
198403ef58002tml.jpg
場所は東海道線茨木駅。EF58牽引の荷物列車を待っていたら下りの新快速電車(当時は117系でした)が猛スピードでやって来ました。あわやかぶってしまうかと思いましたが、その直前の瞬間を捉えることに成功。こちらも風景としてはごくふつうですがシャッターチャンス的には自分で気に入っている一枚です。
ちなみに、当時は新快速電車も複々線の内側の線路(電車線)を走っていました。荷物列車は外側の線路(列車線)を走っているのが写真からもわかります。


●ゴハチ、セノハチをゆく
198403ef58003ml.jpg
山陽本線八本松〜瀬野間は連続急勾配が続く随一の難所。瀬野から八本松へかけての上り坂となるので通称「セノハチ」と呼ばれています。こちらはそのセノハチを上るEF58の荷物列車。うしろに補助機関車をつけてぐいぐいと坂を上ります。


●セノハチの朝
198403ef58004ml.jpg
こちら上と同じくセノハチでの写真。瀬野駅にだいぶ近い場所で、下り荷物列車を捉えました。朝日を車体側面に受けながら、難所を無事降りきってほっとしているような一コマです。
posted by ひろとも at 11:17| Comment(6) | TrackBack(0) | 思い出鉄道写真館 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月29日

思い出鉄道写真館 (5)EF58形電気機関車

80系湘南電車先頭車の顔によく似たデザイン。「ゴハチ」という呼び名で親しまれたEF58形電気機関車は、ともすれば脇役に追いやられがちな電気機関車の中でもスターと言っていいほどの人気者でした。
きょうご紹介する写真はいずれも1984年の冬から春にかけて撮影されたもので、東海道線・山陽線を走破する急行荷物列車を牽引するEF58の在りし日の勇姿です。

●根府川鉄橋シルエット
1983ww004ef58l2m2.jpg
思い出鉄道写真館 (3)113系湘南電車」の二番目の写真と同じ場所(東海道線根府川付近)から撮影したもの。朝の太陽をバックに走るその姿は神々しささえ感じられました。


●小郡駅にて
198403ef58005t3m3l3.jpg
いまは新山口と改称された小郡駅での一コマ。下関から東京までの長い旅はまだ始まったばかりです。春まだ浅い山陽路では、機関車から吹き出す暖房用スチームの煙が白くゆったりと漂っていました。


●瀬戸内の海を見ながら
198403ef58006t3m3l3.jpg
山陽線の中でも富海〜防府間は瀬戸内海がとてもよく見える区間。山が海岸まで迫り、線路はその隙間のわずかな平地を走ります。入り組んだ海岸線に沿って線路も右に左にカーブして、海を眺めながらの汽車旅は時間の流れがふだんと違うような感覚です。


●伊吹山麓をひた走る
198403ef58008t3m3l3.jpg
関ヶ原からやや京都寄りに下った柏原〜近江長岡間の東海道線。写真撮影時は、雲が低くたれ込めていて、あいにく麓付近しか見えてませんが、晴れた日にはバックに伊吹山が堂々とそびえる、そんな場所です。

EF58は荷物列車の廃止とともに第一線を退きました。その多くは廃車されてしまいましたが、お召列車牽引用とされた61号機は、いまでもときどき見かけることがあります。

posted by ひろとも at 01:57| Comment(2) | TrackBack(0) | 思い出鉄道写真館 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月09日

思い出鉄道写真館 (4)80系湘南電車


藤沢駅の湘南電車キオスクに触発されて(?)、ゆうぱんさんどんたくさんのご厚意に応えるべく(??)、久々の「思い出鉄道写真館」と相成りました(笑)。
ええ、もちろん、初代湘南電車として名高い80系電車です。


●中央本線・飯田線辰野駅
198212_80_03ml.jpg
辰野駅で出発を待つ80系電車。
この80系電車、私がちっこいころは静岡地区の東海道線でも走っていましたが、自分でカメラを持つようになってからは、飯田線だけで活躍していました。編成も短い4両編成。
この写真を含め今回ご紹介するものは、最後の牙城、飯田線からも姿を消そうとしている1982年12月ごろの写真です(全車廃車は1983年)。

●田切の鉄橋
198212_80_01ml.jpg
飯田線で旧型国電を追いかけたものなら知らない者はいないと言われる田切の鉄橋(田切〜伊那福岡間)での一コマ。背景の中央アルプスの山々が美しいです。

●80系車内
198212_80_02ml.jpg
作りは従来からの客車列車の室内とほぼ同じ構造。出入り口付近のみ外側窓に背を向けたロングシートがちょこんと配置されていました。

●最後の勇姿
198212_80_04tml.jpg
西日を浴びて颯爽と走り抜ける80系電車(七久保〜伊那本郷間)。

思い返してみれば、80系電車はとても画期的な車両でした。
一つは中・長距離列車を電車で運行するという世界でも初めての試みを成功させたこと。この実績は後の電車特急、そして新幹線にまでつながります。
もう一つは、中央に鼻筋を通した二枚窓の先頭車の顔。これはEF58形機関車の顔や、京王井の頭線3000形の顔などにも影響を与えることになりました。

残念なのは、この二枚窓の先頭車はすべて廃車解体されてしまったこと。一番初期に作られた三枚窓の先頭車ともう一両の中間車が、大阪の交通科学博物館に保存されています。80系電車の保存車両は、大阪にこの二両があるだけです。
posted by ひろとも at 17:24| Comment(5) | TrackBack(0) | 思い出鉄道写真館 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月23日

思い出鉄道写真館 (3)113系湘南電車


3月18日のダイヤ改正では、東海道線(東京〜熱海・伊東間)の電車も新型E231系電車にすべて置き換えられて、永らく親しまれた113系電車が姿を消してしまいました。
「思い出」と呼ぶにはやや早いかもしれませんが、113系湘南電車の写真を4点ほどご紹介いたしましょう。

●根府川鉄橋を渡る下り普通列車
1983ww002nlm.jpg
東海道線の早川〜熱海間は箱根の山が相模湾まで迫るところで、線路も海沿いを走り、景色がとてもきれいです。
中でも根府川駅を出てすぐに渡る通称「根府川鉄橋」はそのハイライトといっていいでしょう。この写真は1983年ごろ撮影したものです。

●根府川鉄橋シルエット
1983ww001lm.jpg
上の写真と同じ日に撮ったものだと思います。
輝く朝日と静かな海を背にして根府川鉄橋を渡る113系電車です。

●サロ110形(1200番台)車内
20050731syonangreenlm.jpg
こちらは昨夏撮影したもので、サロ110形グリーン車の車内です。いま普通列車用のグリーン車といえば座席数確保のため二階建てになってしまいましたが、こちらはふつうの一階建て。この天井の高さがいまとなっては贅沢品です。

●新旧顔合わせ
2005041218490nlm.jpg
こちらも昨春、東京駅で撮影したもの。向こう側は113系置き換えのために大量投入されたE231系です。こんな風に新旧両車両が顔を合わせていたのも今は昔……。

「走れ!バカップル列車 11号」では113系電車に名残を惜しむ旅のことが綴られています。
こちらも合わせてお楽しみいただければ幸いです。
posted by ひろとも at 00:50| Comment(4) | TrackBack(0) | 思い出鉄道写真館 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月06日

思い出鉄道写真館 (2)奥羽本線板谷峠

お正月に実家に帰省した際、またもや探し出してきた写真の数々。
こんどは奥羽本線板谷峠の写真をご紹介しましょう。
冬のものは1983年12月、夏のもの(モノクロ)は1984年8月に撮影しました。

●下り鈍行列車
198312itayakyakure0tm.jpg
板谷峠は東北地方を南北に貫く奥羽山脈の南端にあたる険しい峠で、福島県と山形県の県境にあります。いまは山形新幹線になってしまい、どこにでもある山岳線区と変わりありませんが、かつてここは、スイッチバック駅が4駅も連続していた区間として有名でした。
こちらの写真は、福島からだと上り途中にある板谷駅を発車したばかりの鈍行列車。客車は茶色や青の旧型客車ですね。何せ鉄道としてはとても厳しい33パーミル(‰)という急勾配。当時は鈍行もすべて機関車が引っ張る客車列車でしたから、一駅一駅ゆっくり停まり、引き上げ線に入って助走をつけてから発車していたんです。

●特急つばさ
198312togetsubasa0tm.jpg
峠駅付近を通過する電車特急。上野と秋田を結んでいました。特急列車はスイッチバック駅は通らずに通過線を颯爽と駆け抜けてゆきます。

●峠駅
198312togekyakure0tm.jpg
「峠」っていう名前の駅、あるんですね。正真正銘板谷峠を越えてすぐのところにある駅です。ものすごい山奥で周辺には民家が数軒あるだけ。うしろに見える屋根はスノーシェードといって、ポイント(分岐器)に雪がかからないようにしたものです。
この駅、駅舎はあるけれど改札を出ても線路(本線)に行き当たってしまい、どこにも行けません。ふつうはどういう風に乗っているのか、ほかに客らしい客もいなくてわかりませんでした(写真に映っている人たちは作業員のみなさん)。ちなみに数軒あるうちの一軒は「峠の力餅」をつくって売る店でした。

●赤岩駅の情景
198408akaiwa00m.jpg
こちら翌年の夏の写真。鈍行が赤岩駅で停車している間に特急つばさが通過しています。右側の客車列車(鈍行)が停まっているのが赤岩駅のプラットホーム(線路は水平)。左下の特急列車が通過しているのが33パーミルの本線です。駅の線路と本線は、その先で合流しています。そう考えると本線がいかに急勾配かわかりますね。

●峠を登る客車列車
198408toge400m.jpg
モノクロなのでわからないのですが、赤い機関車が赤い客車を牽引しています。このころから客車の中にも旧型ではなく赤色の新型客車が登場しました。機関車のおでこの部分が切れているのは失敗ではなくて、わざと芸術的(?)にこのようなアングルに挑戦してみたんです。

数々の名場面を演出してきた板谷峠のスイッチバック。
山形新幹線が開業するおよそ二年前の1990年ごろにすべて廃止されました。客車だった鈍行も電車になり、坂道の途中でも発車できるようになったのです。
ところでこの付近は豪雪地帯としても有名。今年は特に雪の被害が多いので、山形新幹線も鈍行電車も無事に運行できることを願いたいものです。
posted by ひろとも at 01:50| Comment(2) | TrackBack(0) | 思い出鉄道写真館 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月30日

思い出鉄道写真館 (1)余部鉄橋


実家の引き出しを整理したら、昔撮った鉄道の写真が出てきました。
いまから21年前(1983年)、中学三年生の夏休み、友達と山陰に行ったときに撮ったものです。

場所はすべて山陰本線餘部駅付近にある余部鉄橋。
1912(明治45)年完成のトレッスル橋で、高さは41メートル。橋脚の形といい、朱色の塗装といい、周囲の風景にとてもよく馴染んでいて、数ある鉄道の橋梁の中でもきわめて美しい鉄橋といっていいでしょう。

●寝台特急「出雲3号」
198307izumom.jpg
早朝、余部鉄橋を通過するブルートレイン「出雲」。東京を前夜に出発し、京都からディーゼル機関車DD51に牽かれてやって来ます。「出雲」は寝台特急の中でも乗車率の良い列車で、九州方面の列車が次々と廃止されて行く中、現在でも東京から二往復の列車が走っています(一往復は伯備線経由の「サンライズ出雲号」で余部鉄橋は通過しません)。

●急行列車
198307tanbam.jpg
急行「丹波」か、それとも「但馬」か、もうわからなくなってしまいました。しかもいつ撮ったか定かでなく、ひょっとしたら1985年の夏に撮ったものかもしれません。かつての山陰地方は特急列車より急行列車の方がたくさん走っていました。車両はキハ58形・28形だと思います。

●特急「まつかぜ」
198307matsukazem.jpg
山陰特急のエース「まつかぜ」。大阪〜博多間を福知山線、山陰線経由でほぼ丸一日かけて走っていました。グリーン車、食堂車を1両ずつ連結した堂々9両編成!(ただし、米子で後ろの3両切り離し)
車両はキハ82系という国鉄でも最初につくられた特急形気動車。貫通路を設けながらも特急としての風格を備えた前面(運転台周辺)のデザインはとても洗練されていて、後の特急形気動車にも踏襲されたほどでした。

●鈍行客車列車
198307donkom.jpg
山陰線の鈍行といえば旧型客車。編成も長かったですが、運転区間も長く、門司発福知山行きなんてのもありました。朱色の機関車の後ろに青い客車が連なって鉄橋を渡るシーンは実に絵になる風景でした。

ところで、この余部鉄橋。近いうちにコンクリート橋に架け替えられてしまうそうです。なにせ明治生まれですからね。残念ですがしかたありません。
時の流れを感じます。
posted by ひろとも at 23:58| Comment(2) | TrackBack(0) | 思い出鉄道写真館 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする